猟奇殺人者(当時少年)と社会

俺にとっては彼(当時少年)が今どう考えているかというよりも、
社会が彼をどう捉え、
死刑が適当とする人が多い中なぜ社会は彼を生かそうと考えたか
また今回彼の手記を出した出版社の考え方が遥かに興味深い。

まず出版社。
彼の手記を受け取って読んでどう思ったのか。
はてブコメを読む限り憤りを感じた人は少なくないし、被害者遺族は
出版差し止めを求めている。こういうことは事前にある程度予測できたことと
思われるが、それでも出版を行った。なぜか。
彼の現状を知らせようとしただけかもしれないが、それは価値はない
痛ましい事件は記憶から葬り去りたいと考える人が多いと思うからだ

次に社会が彼をどう捉え、どうしようと考えているのか。
法律は罪を憎んで人を憎まずの理念があり、犯罪者の更生が目的となっている。
しかし世の中の多くは病原菌と捉えて社会八分にしようと考える。
俺は法律に詳しいくないが、懺悔あれば許されるという宗教的な考え方が根底にあるように感じる。
どうして多くの人が八分にしたいと考えるか、それは無実の者を殺した者が平然といまも生きながらえていることに対し憤りを感じるからだ。
これは人情で、普通の人間なら誰もが抱く自然な感情。

で、死刑について語り始めたら時間があってもキリがないので
多くを語らない。
殺人者を殺せば国民は安心できるだろうが、それは殺人犯罪者にとって
本当に苦痛を伴いながら罪を償うことになるか、といえばそうとも限らない。
生きることのほうが遥かに精神的苦痛という場合もある。

EUは死刑を廃止しているが、じゃあゾディアックやテッドバンディや、日本では1913年の愛知もらい子殺しでは200名以上の殺害事件があるが、それでも死をもって償う必要はないと考えれるかどうかだ。

処罰があるのは罪人の更生を目的とする一方で、社会が正常になることも目的としている。刑務所に入獄して隔離するのが一番いい落とし所だと俺個人は考えるが、税金を使って犯罪者を生きながらえさせることに対する不満だけでなく年々犯罪者が溜まっていくので収容箇所の許容を超えて賄えきれない問題もある。


神戸殺人事件の当時少年や出版社に対する憤りはある。
じゃあ彼が死ねば全て解決する、という話と考えるのは軽率だ。
犯人を社会から除外しても又犯罪は起こる。犯罪は社会から離れた人間を
作ってしまうことから起きる出来事だと俺は考える。つまり無管理な人が
でることが一番問題で原因だと。
しかしそれを行政サービスとしてやれば一瞬にして財政圧迫される。地方は?離島はどうする?という問題がでてくる。


俺のような知識も頭脳もない者が考えてても答えは出ない。
TVでもネットでもいい。年に1~2回は犯罪者、特に凶悪犯罪者と社会について討論できる場を持つ必要性がある。
朝まで生テレビそこまで言って委員会ではなく、一般人と有識者が参加して討論する場を定期的に、継続的に行っていくことが今求められる形と考える。


サムの息子法というのは下記ブログで初めて知ったが、裁判で多額の罰金を言い渡されて差し押さえした金品合わせても満額ならないときに本の売上金から一部充当するというのはアリだとは思う。が、結局は出版社のモラルだ。


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では死刑禁止の推進派、賛成派は、従来の法律や判例では死刑となるべき
犯罪者とどう向き合っているのか。又はどう向き合おうとしているのか。
そして最大の課題、何を以って彼が罪を償ったとするのか。

その前に殺人事件を犯人本人の問題と済ませられるのであれば彼を死刑に
処せればそれで終わり、解決だ。
しかし他方で殺人事件をうんだのは社会の歪みによって生み出されたもの
だという考え方がある。

後者に近い考え方に、犯人を処刑すれば人は痛ましい事件を忘れることができるが、生かすことで世に対する啓蒙になるという考え方もできる。

EU死刑廃止は歴史や宗教による背景が強い。
罰則の死刑は再犯の恐れがある犯人によって再び無実の人が殺されないよう未然に防ぐためであるが、その答えが終身刑かといえば違う気がする。
つまり廃止したものの合理的な答えを廃止推進派のEUですら出せてない。

償い方はどうだろう。
ごめんなさいもうしません。と言うことを償いと見れる人は少ない。
では一生涯ボランティア活動することなのだろうか。
それとも暗く冷たい独房に閉じ込めることなのだろうか。
どれも正解ではない気がする。


昔であれば出家し、業をしながら自ら犯した罪を含めて反省をするのが
筋だ。それでも多くの人は認めないだろう。
彼は反省したというが態度にも結果にも出ていない。
出版社は出すだけという態度。彼の誤った考え方を正してやろうとか
そういう感じは一切受けない。ほんと初版売りきったら終わりである。
これは悪い大人の欺瞞にしか感じれない。

私たちは更生を期待して彼を生かしている。そして共に生きている。
同じ日本という国で、同じ時間を共有しながら生きている。
なぜそれを許しているのかを、改めて考えるべきではないだろうか。



少年A 神戸連続児童殺傷事件加害者の手記「絶歌」のあとがきに怒りに震えた - ソーシャルレンディング赤裸々日記
 <http://quadstormferret.blog.fc2.com/blog-entry-224.html>


日本にも「サムの息子」法があれば「酒鬼薔薇聖斗」手記で儲けるなんて許されない|りんがる|note
 <https://note.mu/lingualina/n/nee602611698e>