罪と罰

死刑囚の中には、犯行を悔いて反省し、絵画等に打ち込んでいる人もいます。そういった人にも、このような形で、死刑を執行すべきなのでしょうか」

と記事にあるがそれを言うなら死刑という判断には後に死刑囚が悔いること、つまり情状酌量も加味した上で判断していると考えるほうが自然なのではないだろうか。でなければ裁判で情状酌量という言葉を使うこと自体、とても不自然なことになる。


罪には罰が付き物だ。
では何をもって罰とし、何をもって自分の罪を償ったとするかだ。
これは現在の法律、判例をもって判断する以外ない。

冤罪は無いほうがいい。いやゼロであるべきだ。
しかし警察側や検察側は取り調べ時の録音、録画の公開を拒んでいる。
つい最近話題になった米国での野球審判時における録画ビデオの利用もそうだが、日本では録音・録画を証拠にあげることにとても抵抗する傾向にある。正しいことをやっているのであれば堂々とできるはずなのにだ。


死刑反対を主張する人の言い分もわからなくはない。
死刑存続を希望する人の言い分もわからなくはない。
でもどちらが正しいか今いったところで、死刑制度はなくなりはしない。それは国会や国民投票でなければ決定しないことだから。

100人に聞いてどちらが多いかというのは出るだろうが、100%片方だけというケースは有り得ない。
俺は日本では死刑制度廃止という話は出来ないと思っている。それは日本が古来から仇討という習慣のようなものがあったから、なかなかヨーロッパのような考え方に頭を切り替えるのは難しいと思う。

身内の、大切な人を殺されて感情的になるなというのは無理だ。それは映画「セブン」のラストシーンを見ても分かる。
事件には犯人と、被害者と、直接かかわりのない私たちという3者が存在している以上、決して答えの出ない命題に対してハッキリとした答えなど誰も出せないと思う。

考えることはいいことだ。
でも今の日本は相手に関わりたくないという考え方をしている人が多いから、こういう問いかけをすること自体あまり無意味な気がする。


袴田さん釈放で改めて「死刑」を考える――日本の「死刑執行」の実態は? | ニコニコニュース
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