いや、評論家なんてそういうものなんだと思った方が良い

そう思うのは、ノンフィクション作家作品を評論している人たちの意見があったからだ。
どういうものかというと、作家は
「結局、彼らが取材して書いているものであっても、けっこうバイアスがかかっている」
という評論家同士の共通意見がでていたからだ。

それは偏見である場合もあるし、偏見するつもりはなくとも思いこみがある場合もある。
偏った意見なのに正しい!常識だ!ということは悪いことだと思う。
しかしそれを100%無くすのは、書いているのが人間である以上避けられない事なんだと思う。

じゃあどうすればいいのか。
それは読み手がその1冊の本だけでなく、同様のことを書いている他誌もあわせて読み
何が正しいのかを読者自身がみつけなければならないという作業は不可避だし、必須だということ。


俺はむしろ自分が調べてきて正しいと思うことはどんどん言えばいいと思う。
でもそれが正しくない、嘘だと言った場合はブログやTwitterは炎上し、長期休眠を
余儀なくされることは覚悟しておいた方が良い。
やはり真実を解き明かすときは、やっぱりエビデンス(証拠)は必要。そして証拠を得る
手順に間違いがないことを確実に確かめておくことが必要だと思う。


書く側、取材して報道・書籍を出す側は事実を正しい方法で取材していくことは欠いてはならないと思う。
と同時に読み手もTVのワイドショーだけで、Yahooニュースの数行を読んだだけで評価せず
しっかり複数の情報を得て判断することを手を抜いてはならないと思う。


批評家は何かにハマったらそれに触れないほうがいいと思うの - 今日も得る物なし
< http://d.hatena.ne.jp/kyoumoe/20140527/1401201824 >