日本には不要?必要?

本当に日本では議論、討論のやり方を教えようとはしない。
馴れ合い、年功序列、人脈やお金を持ちだして相手を"言いくるめるやり方"しか教えない。
だから小沢氏、遡れば故・金丸氏や故・田中角栄氏のような人しかトップに立てない。

アメリカのことをよく悪く言っているが、コミュニケーション力の高さは未だにトップなのは認める。
アメリカがそうなった理由は国になって行く過程で、多国民国家である、というのが一番だろう。

日本は江戸時代になるまでは隣国、欧州との付き合いがあった。しかし江戸時代から300年間
鎖国し、ガラパゴス(孤島)化した。
他国の人と交流することもなく、いわば隣近所の人と仲良くしていれさえすれば良かった。
当時は移動手段も限られていた。1日歩く又は馬に乗って移動したところで、今で言えば隣の市や県
に良ければ良いくらいだったろう。
いつも同じ人との会話だから、コミュニケーションが殆ど不要だった。その状態が300年も続いた。

明治時代になってもすぐに世界と協調性持てる国になるはずがない。
しかも日露戦争日中戦争第一次世界大戦と、文明開化と共に度重なる戦争を経た。
隣国と戦争しているのに国際交流なんてできるわけがない。むしろ隣国に行くは非国民だっただろう。
この状態は第二次世界大戦終結し、GHQ統治から脱するまで続いた。だから江戸時代だけではなく、
70年くらい前まで鎖国状態が続いていたと言っても過言ではない。


更には日本は他国への移民を出すが、他国からの移民を殆ど認めなかった。
住める場が無いからと言うのも理由になるが、それ以上に移民者を扱える人がいなかったし、移民者
を快く思わなく、付合いづらいという自分勝手な理由で拒み続けてきた。

当然そんなことやっていて国際感覚を学べるか?と言えば限りなくNOなわけだ。



岡田氏は"10人に一人しか卒業できないシステムだったら可能"と言っているようだが、それは現行の
システムのままで大学だけハーバード大方式にすればそうなるだろう。1/10どころか一人も卒業
出来なくなると思う。
そうじゃなく、討論を行うことを日常的にするには保育園、幼稚園からそういった教育をすべきだと思う。

6年かけても私のように米語圏の人とロクに話せない人しか生み出さない日本の教育指針では、
討論、議論できる人はおろかコミュニケーションさえ出来ない人しか出来ないのは当然だと思う。


自分さえよければOK!な政治家がこの世からいなくなり、世界を視野においた教育方針でやっていこうと
退路を断つ人が出てこなければ、現状のままが一生続いていくと思う。


それでいいのか?と言えばNOではあるが、中華が尖閣や沖縄を狙っているが他国に日本が乗っ取られ
でもしない限り、変わることは絶対にないと思う。



これは一人が頑張れば良いと言う話では、決して無い。
良くも悪くも、だ。




『白熱教室の衝撃』・岡田斗司夫インタビュー ノーカット版 - オタキングex公式サイト
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