議論することから避けてきた日本固有の性格

超会議というニコニコ動画主催イベントがあり、田原氏を初めとする9名のパネラーでメディアについて
討論するコーナーがあった。ここでメディアに対する議論があったのだが、ネット、特にSNSなどで
討論されている内容が非常に陳腐だという話が上がっていた。

今まで個人的にSNS等で投稿されている書き込みが低レベル、陳腐だという印象は俺にもあった。
それについて多少なりとも考えたこともあった。
しかしこうなる原因は、やはり日本の学校教育で「討論する」ということを教えられてこなかったことが
大きな要因としてあるように思う。

とにかく横に習え。勉強でも仕事でも。
その際たるものはいまだに起こっている談合がそうだ。とにかく競争を避けるという国民性が
なせる業だと思う。

こんなことを言ってお前だけ免罪符を持てたつもりか?と怒る人がいるかもしれないが、
俺も批判の的の1人だと思っている。


もちろん個人レベルでやっていけることは有ると思う。
だけど、国民性を変えるとなれば、やはり政府や行政が率先して、又は資金面や人材面
で大きな後押しをしないと、そうそう簡単に短期間で改善できることではない。

大阪のオバちゃんレベルの会話で良い時もある。ふざけて話し合うことも良い時もあると思う。
しかし重要なこと、大切なことは、討論・議論の形になるべき。
真偽は別にして、実名を取上げる場合は確実に裏が取れた内容であるべきだ。

あと。じゃあこれだけの事をやっておいて、どうして実名報道にならないのか?
という議論を避けるべきではない。
そして政治家、行政側も引き込んで、法律面や行政面にも反映させるべきだと思う。


愚民ばかりだと批判するのは簡単だが、じゃあどうすれば良くなるか?という
具体案が出てこないことも、やはり日本国民が議論すること、討論することに
不慣れや避けている感が否めない。

簡単に語っているが、けっこう根深い話、根本的に変えなければならない部分が
あると思う。


[参考元]
京都亀岡暴走事故で3人の犯人の名前を6人分「暴い」たネットの暴走[絵文録ことのは]2012/04/27
< http://www.kotono8.com/2012/04/27bousou.html >