小室は既に限界を過ぎていた?

"「Automatic」の歌詞を何度も追いかけたが、理解できなかった。小室は「それくらい作詞の概念も変えられたてしまった」という。"

出典:小室哲哉宇多田ヒカルに敗北感を抱いた過去を語る - ライブドアニュース

「出ないってこと自体、クリエイター側からすると“出て来ないんだ、自分は”ってなるんです。もう詞のはめ方。ラジオの時のしゃべり方。何から何まで自由で。ん〜いいなあ〜、うらやましいな〜ていう。こんな好きにしゃべっていいんだ。と、大人になってから、これほどやられた感がないっていう…」とショックの大きさを言葉にしていた。


小室が栄華を謳歌していたのは、1994~1997年とされている。(Wikipedia記事より)
1998年からもソロ歌手アイドルのプロデュースを続けていたが、この年12月に宇多田ヒカルがデビュー。
浜崎あゆみ椎名林檎Dragon Ash、L'Arc〜en〜Ciel、モーニング娘。モー娘。は’97デビュー)と立て続けに新人ヒットメーカーが出てきた。

小室が栄華を謳歌していた時期はリアルタイムで生きてたわけだが、決して批判がなかったわけではない。
一見新しいがコピーのつなぎ合わせでしかないと批判していた人もいた。


上記の引用は、小室がダメになったということを言いたかったのもあるが、若い人に付いていけなくなった
小室の実状があり、主に音楽CDを買う若い人の支持を得られなくなったことも意味する。


文春砲にやられて去就を迫られたと、ネットでは文春に腹を立たせる人が多いが、
2001年に吉本興業への移籍、2005年には不払いを含めた多額の借金問題、2006年には5億円詐欺事件を
起こしており、詐欺事件においては有罪が確定(執行猶予あり)している。


引退を迫ったのは文春だろう。
しかし引退せざるを得ない状況を作ったのは外ならぬ小室氏自身だ。

上岡龍太郎のように進んで引退日を決めてたわけでもなんでもない。