真実を知る権利。


映画ウォッチメンの最後、真実を知った主人公たちのうちロールシャッハは国民に知らせに行くと行こうとしたが、他の者は止めろと静止する。しかし国民は知る権利があると言い張り出ようとしたところで、DRマンハッタンが超能力で彼を爆死させた。

国には機密事項があり、それは一定の期間は公表されない。また公表されたとしても重要な部分は黒塗りされていて読めないようになっている場合が多い。
しかしそれが覆されたことが最近起こった。そう、ウィキリークス問題だ。

私たちは国の下僕ではなく、その逆で主権者である。だから全てを知る権利がある。
だが政府側の立場に立てば機密を知ることでパニックやテロ活動者に大義名分を与える場合がある。つまり危険を発生させる可能性がある。だから「公表しない」と言う。


今回の場合の話は、そうだろうか。


むしろ逆効果になった。もし混乱を生じさせたくないのならビデオの存在そのものを封じるべきだったのではないのか。
保管管理も杜撰で、そういう機密なものを訓練学校に提供すること自体おかしな話だ。もし国民の安全と財産を守るために機密文書が存在すると言うのであれば、尖閣ビデオの原本はコピーされることなく海上保安庁や政府に即時提出すべきことだし、防衛庁や政府は即時提出するよう指示・命令を出すべきだった。

今回は政府や防衛庁らの瑕疵があったため起訴猶予になったが、本来はこういう経緯があること自体おかしなことだと感じる。


ウォッチメンの登場人物の考え方のうち俺に近いキャラは、ロールシャッハだ。
確かに知らない事で平和に過ごせることもあるだろう。しかし私たちは真実を知る権利を持つ。間違った事や歪曲させられた内容を事実だ真実だと言われていれば、尚更強く思う。
だからといってウィキリークスがやったことは正しい行為か。と問われれば残念だがNOだと言う。それは必要最低限の手続きを経てないからだ。テロと言われる所以は、攻撃される側に明らかな瑕疵や過失が無い場合に攻撃をした、攻撃する側が事前通告、相談、警告をしていないと言う点がある。ウィキリークスはこれに該当する。

円満に話を終わらしたければ、難しい問題だと締めくくるのが一般的だろう。
しかし権利は権利だと俺は言っておきたい。



asahi.com朝日新聞社):「なぜ公開許されぬ」一色元保安官、紙1枚のコメント - 社会
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