これまでのゲーム大会、ゲームネット放送の開始時期を振り返るとこうだ。
1996年 Evolution Championship Series
2013年 Camcom Cup
2016年6月 Twitch.tv
2015年8月 YouTube Gaming
先日は平昌五輪でスタークラフト2が開催されるなど、競技性のあるゲームタイトルを
オリンピック種目として採用され始めた。
もちろん大きく体を動かす方の既存スポーツ枠の中でやるのではなく、パラリンピックのような
メインとは別枠立ち位置でのものとなる。それでもオリンピック競技委員会が公式にゲーム競技を
認めたというのは1つ山を越えた感じがする。
日本国内では1990年のスト2の超絶ヒット、1994年の格闘ゲームフィーバー時代には
ゲームセンターが挙ってゲーム大会を開いていた。
セガやカプコンも全国大会規模のゲーム大会を開いていた。
バーチャファイターでは写真週刊誌やTVが取り上げるほどの事態にまでなった。
先日はNHKで特集を組まれたこともある。
俺の印象では日本はゲーム大会という意味では後進国どころか超先進国だと思っている。
やらかしてしまったのは、ゲーム大会を競技へシフトすることをせず、マネタイズも行わなかったことだ。
失敗したのではない、やらなかった。全くやらなかった。
ゲーム業界に限らず日本の企業はこの「不作為」(法律で問題になる行為の一種。あえて(特定の)積極的な行為をしないこと。)でチャンスを逸していることが非常に目立つ。
バーチャファイターは、VF4でカードシステムとネットワークサービスで一気に進化し、
オペレーター(ゲームセンター)側の利益に貢献した。
チャンスに強いとか弱いってあると思うんだが、最近思ったのはチャンスってのは無くてあったとしても
それはみな平等にあるものだと。じゃあ何がある無しなのかというと「勇気」のあるなしでしかないということ。
勇気って、清水の舞台から飛び降りる気持ちで行動できるか?ってこと。
日本には古来武士道という精神があって、武士道には勇気が含まれているはずなのにね、それは引き継いでない。
ニコ動ニコ生は2015年から闘会議を行っているが、超会議のゲーム版的な色付けで
いまいちさを感じる。
本当は別用事で出かけるつもりだったんだがたまたまYoutubeに違法アップされてた触りを見てしまったがためにVIRTUA FIGHTER 10th ANNIVERSARY Memory of Decadeを見直してしまったw
こういうのを見ると、今のeSportsってユーザー、プレイヤー目線を持ってるんだろうか?持ってるんだとしたらこの先何十年も持続できる仕様になってるんだろうか?と。
やる以上は10年20年は持続してもらわないと困るし、やるなら本気で取り組んでいって欲しい。
中途半端なことをするならそもそも参入しないで欲しい。というのが俺の思い。
プレイヤーが育っていく必要性はあるが、それ以上に運営側が育って行ってもらわないと困るが、
MCを務める人がもっと増えてもらい、MCスキルを延ばしてもらう必要があると考えている。
アール氏や元セガ社員・セクシー斎藤氏のように場を盛り上げれる人ってとっても大事だと思うんだよね。
やることはいっぱいあるよ。