声優と俳優の違い

先日テレビ朝日で声優総選挙が放送された。
その後ニコ動などでも独自投票結果を発表などを行っていた。

しかし何をもって声優の優劣をつけるのか。
単に1年間の出演数なのか、売上額なのか、CDの販売本数なのか。テレ朝の番組はアニメ関係者からの
アンケートとは言っていたが、限りなく投票者の趣味でしかなく、本当の意味でその人の演技力が高いのか
は分からない。

山寺宏一氏や野沢雅子氏が選ばれたのは、俺は彼らに演技力が無いと思っているわけではなく、
貢献度や影響力のおおきさが指標になっていると感じる部分が多い。

じゃあ声優と俳優の違い。そして演技力の多少はどこで別れるのかを俺なりに考えた。


声優と俳優の違い。それは声優は声だけでしか勝負が出来ない所だ。
顔の表情、身振り手振りは全てアニメがやってくれる。いや自分で表現が出来ないのだ。
本当は声優本人が表情、身振りも表現で来てこそだと思うんだ。声優たちはハンデを負っていると
捉えるべきだ、と俺は思う。

2つ目に演技力。
演技力は自分が担当するセリフ部分がきっちり、そつなく熟せることは当然のことだが、
俺はカメラに映っている間、舞台に上がっている間も役を演じられているかどうかで
演技力の違いが出てくる。と俺は考える。

担当のセリフのときだけはきっちりこなしてるのに、セリフが終わったら素の自分に返ってしまう人が
意外と多い気がする。
そう感じたのはゴッドファーザー1でソロッツォが麻薬取引に資金などの援助が欲しいとして
ドンとソニーらと会談をするシーン。
ここでソニー役ことジェームズカーンが「タッタリアが保証するんだな」と口を出すシーンがあるが
それまでの表情を見ると、非常に残念な表情だった。ちょっと挙動不審な感じで目と姿勢がぎこちない。
本当にソニーが麻薬取引に興味があるのなら、父側を見てイライラしているとかの表情を作るべき
なのにそれが無かった。そこにいたのはソニーではなくジェームズカーンであったという印象を
俺は持ってしまった。
このように、セリフ以外も手を抜くことなく、カメラの撮影範囲内や舞台上に上がっている時は
セリフ以外のシーンも大事に演じることが、その人の演技力だとする理由だ。

さて声優の場合、自分のセリフ以外はマイクのそばには居れない。
下がって立って待っているか、壁側の椅子に座っているしかない。
更に、自分のセリフシーンではアドリブできるが、自分の担当部分以外では声を出せない。
理由はアニメの製作に影響が出てしまうからだ。
仮にグッジョブなアドリブを担当外で発したとしても、製作の都合上、そのシーンをアニメに
描き起こすことは無理だからだ。


なので。声優は俳優のダウングレード版だと揶揄する人がいるが、実はダウングレードではなく
ものすごいハンディキャップを負って演技をしている方たちだ、というべきだ。
だからこそ、主が声優である方は是非とも声優業だけに専念するのではなく、舞台やTVでも
活動を行って欲しい。
歌を歌ったり、グラビア出すのもいいけれど、やっぱり俺は私は演技することが好きなんだ!と
いうところを見せて欲しい。
それは下手だ上手いという問題ではなく、その人の演技者としての生き方だからだ。

見る側も、もっともっともっと声優に対して、演技に対して知識と感心を深めるべき。
そうやって見る側も演じる側も、知識と意識を高めて欲しい。