ドリクリ・プロジェクトは終わる。だけどすぐ新しい活動をしたい。

と吉田(仮)こと山田(元)Pが語っていたことについて。

繚乱さんたちと一緒にやってきたことは良かった。その一方で曖昧、中途半端になってしまったこともあった。
ここは一度解散をし、それぞれが自分の立ち位置で整理をして、1年後改めて出会ったとき笑顔で出会えるようになりたい。

といった感じのことを山田さんは語っていた。
でも肝心なことを語っていない。何が曖昧で、何が中途半端で。それはどうすれば解決すると考えられて、自分は何をやらなければならないのか。ってこと。
一言たりとも抽象的な言葉を使わずにすべて具体的、正式な言葉を使って言い表していかないと、
結局1年後も曖昧だねーって言われてしまうようになると思う。


イラスト、漫画、歌、作詞作曲、踊り・・・などなど。ドリクリはあまりに手広くやりすぎたと思う。
ニコ生の収録放送は2時間あるけどTVでは30分、いや実質20分しかない。VTR部分を除けば賞味10分程度。そこにアレもコレでは視聴者に伝わらないと思う。

モノづくりをする人たち、頑張っている人たちの手助けをしたい、応援したい。
というのであれば話題性は2の次、3の次であるべきだ。つまり局の女子アナを使ってCDを出したり、
有名なセミプロな生主を使って楽曲などを作ったり。ということは禁じ手にすべきだと。
更に、山田さんは「テレビ東京」という看板は一切使ってはいけない。それは会社に迷惑をかけるからではなく、j山田さん自身もモノづくりをするユーザの1人として、またモノづくりする人と同じ目線でやらないと見たいことが見えないと思うから。

本当に面白いコンテンツはプラットフォームに依存はしない。確かにそれは正論に聞こえる。
しかしニコニコ放送で時間当たり集められても1万とか3万アカウントがせいいっぱい。TVはその10倍以上を集められる。
TVのほうは何百万、何千万円という製作費をスポンサーから提供を受けられるが、ネットじゃせいぜい100万円もけられればいいほうではないだろうか。
依存はしたくはないが現実として依存してしまう部分はある。という現実をちゃんと見たうえで語らないとダメだと思う。


初音ミクがこれほどヒットしたのは、譬えをいうなら任天堂独裁だったゲーム市場にソニープレイステーションを出したことくらいの衝撃を消費者に与えられたから。つまり「その手があったか!」という目からウロコな出来事だったからだと思う。
こういうのは本当に何十年に1度あるかないかのレベル。そう簡単にでるものではない。

なによりも山田さんが何をやりたいのか?をもっとハッキリと具体的に示せられないと、
1年後に番組再開しても、10年後に再開しても同じ結果になると思う。



【つくり場CDフェス第15夜】つくり場CD情報通&繚乱登場 - 2014/03/05 22:00開始 - ニコニコ生放送
<http://live.nicovideo.jp/gate/lv171482209>