愚痴だが、すごくいいSIer?SEer?の話

ちょっと俺なりの解釈を含めて書く。
  1. 設計が終わったからこそ、コーディングする
  2. コーディングは単純作業
  3. PGは詳細設計書ありきで仕事する
  4. 要件は設計者しか理解してない。
  5. 設計者はPGのためにドキュメント「詳細設計書」を書かざるを得ない
ブログ著者は解決方法を幾つか提示している。
  • クラス名間違えば、Eclipseでは即赤線
  • 補完してほしいなら、[CTRL]+[SPACE]
  • 非推奨の発令は、@deprecated
  • クラス名変更は、Refactor-rename(Eclipse機能)
  • 差分(更新履歴)は、SCM History diff (Eclipse、Gitなど多くにある)
そもそもコンピュータが理解できる機械語を人間が書くには手間隙かかり過ぎるし難解だから
高水準言語をつくってやっているのに、なんで人間が人間のために更に言語(詳細設計書)を
書く必要があるのか意味不明だ!
・・・ってことをこの著者は言っているのではないか?と思う。

実は今現在の俺も、これだけツールがあるにもかかわらず使おうとしないバカどもに悩まされているw
はあ?お前、何歳だよ。俺より若いだろーが!w って。
いまどきの子が今どきのツールを使わず、30年前のツールを大切に使い続けている理由がわからん。
上司にそういわれたからそうやってんのだろうけど、その上司が今どきのツールを使わない理由がわからん。
こういう奴が残っているというのが、正直信じられない。

いくら社内用ツールだからといってRedmineやGitも使わないとかありえないんだが。
しかもこれら無償だからコストがかかるわけでもない。あえて言えばサーバ代くらいなもんだ。
・・・と愚痴ってみたw

この方の記事で心刺さったのは「コードを書き始めるということは、設計が終わったということ。」だ。

至極当然すぎて語るのが馬鹿馬鹿しいことだ。でもこれってエッセンスだと思う。
ソフトウェアを創るうえでの「源流」だと思う。




詳細設計書という名のゴミ | Gm7add9
<http://gm7add9.wordpress.com/2012/11/30/%E8%A9%B3%E7%B4%B0%E8%A8%AD%E8%A8%88%E6%9B%B8/>