視聴者は、自分の知識の延長線上でしかモノを見れない。

ってことを、創作者は知れ。

本当に奇抜なものって作者の自己満足でいいならいいけど、多分多くの人は付いてきてくれないどころか
見てもくれないと思う。
理解しようと努力してくれる人もいるだろうが、想像ができない。自分のものに出来ない。

ダリにしろ、岡本太郎にしろ。最初は誰からも評価されず、あることが切っ掛けになって
売れる作家になっていった。でもそこに辿りつくまでは相当な時間を要している。


売れなくても良いというクリエイターさんは少なくない。理解してくれる人が一人でも
いればいいと。でも実際問題、それは現実逃避でしかないと思う。芸で食っていこう、
芸でしか食っていけないような人にとっては。

メガヒットタイトルになり、数十~数百億円の売上げを出そうとは思わずとも、
せめて生活ができるレベル、つまり年500万とか1000万とか。そういうレベルは
達成しないと、芸だけで食っていくのは出来ない。

クリエイター活動されているうち、6割は趣味やド素人、3割がセミアマ、
1割~5%が商業で活躍されている方だと思う。
億を稼げるクリエイターは、全体の1~2%だろう。あくまで俺の印象でいうことだが。


俺はこうやってブログを5年近くやっているが、やっぱり一人でも多くの人に見て
もらえたほうが嬉しい。お金にならなくとも。
一人でも多くの人に見てもらい、評価されれば、これほど嬉しいことはない。
それを嬉しいと感じない人は、自分の作品をネットなど公の場に出すべきじゃない。
せいぜい自分の部屋に飾って自分ひとりで楽しんでおけばいいと思う。

自分の作品をPixiv、Youtubeニコニコ動画などにアップするということは
どういうことか?
即ち、自分の生き様、多くの人に見てもらい自分の存在価値や意義
を表したい、残したいという思いがあるからこそだと思う。

そんなに深く考えてないよ、と言う人は少なくないだろう。
でもアップする、公開するってことは、こういう意味に繋がるってことは
知るべきだと思う。


売上げは考慮せず単に視聴者数だけで考えて欲しいのだが、見てもらうには
今いる人たちに共感を得られなければならない。つまり彼等の知識、経験の
視覚から見れるものを作品にしないと駄目だということだ。

人間の視覚は上下に60度、左右に90度の範囲しか見れない。人の知識、
理解力も固定位置から見れる範囲には限界がある。
それを知った上で創作するのとしないとでは、全然反響が違うと思う。


自分から発信することが増え、だからこそ他人からどう見られるか?
どう見せたいか?ということを意識することの重要性を、もっともっと
感じ考えたい。