除外して世を守るのか、同罪を避けるために放免するのか。

ってことでしょ。

ルールから外れた行為をした者を、世から除外する理由は、
腐ったリンゴを、リンゴの山から外さないと全体が腐ってしまうと言う理由だ。

もう1つの理由は、
殺人者だかといってその者を殺せば、自分たちも人を殺したことになり同罪になる。
人は失敗もすれば成功もするのだから、寛容に見るべきだという意見だ。


じゃあ自然界はどうか。
法律などない。毅然とした1つのルールがあるだけだ。
例えば渡り鳥。 自分の責任じゃなくても傷を負い飛べなくなった鳥が、人間によって看護
され傷を治して群にもどっても、その鳥は群れから追い出される。
人間なら「他人が悪いんだから、戻してやろうよ」というだろう。しかし野鳥たちは、理由が
なんであれ許さない。

鮫のメスの奪い合いを見ても、その壮絶さは、人間じゃあ殺人婦女暴行で死刑確実のよう
なことが日常茶飯事に行われている。


どう言う視点で世の中を見るかによるが、結局のところ自分たちの生活を守るためには?
と考えるか、人間と罪という哲学的な観点で見るかだと思う。





死刑執行・異例の立ち会い、法相「この目で確認」 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
<http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100728-OYT1T00631.htm>