「規格外」は、私たちの責任なのか。

「少年犯罪データベースドア」で先日の秋葉原連続無差別殺人を引き合いに、
1977年に起こった事件を振り返っていたので、以下に箇条書きにしてみた。

1977年と言えば、任天堂ゲームウォッチ(1980年),ファミコン(1983年)よ
りも、昔。
映画では、スターウォーズ、サタデーナイトフィーバー、007私を愛したスパ
イ、エクソシスト2などがある。
テレビでは、特捜最前線、ムー、大河ドラマ花神」などがある。


つまり過激な表現とセクシャルな要因が非常に多い現在よりも、メディア自体
も未発達で、仮に影響を受ける要因があったとするならそれは小説と映画くら
いの時代。
1977年は、今はなにかと取り沙汰されるオタクやニートやTVゲームとは全く
無縁で、しかも日本が絶頂期のときだ。



「その親の教育がなっとらんからだ。」
古く堅気なお父さんらが言うような言葉だと思うが、それで片付く話ではない
と思う。

その人が抱える肉体的、精神的な不安定さに対して寛容で、面倒をみてあげる
人が周囲に、たまたま居なかっただけかもしれないが、世の中が彼らを許容で
きるような環境でなかったことも、1つの要因であるとは思う。


不適切な例えになるが、トヨタ自動車のような品質に厳格な会社、工場でも、
不良品は出る。工場なら不良品は廃品となって、捨てられる。
しかし人は、例え規格外であっても捨てる事ができない。

猟奇殺人は、大昔からある話しだし、それはテレビ等のマスコミやTVゲーム
が無かった時代からあったこと。


秋葉原事件のことを、まるで今始まった事のように煽り立て記事にしているこ
と自体が、非常に滑稽に感じてならない。

そして原因は必ずTVゲーム、オタク、ニートだと断定的に言って、少数派の者
らに責任を負わそうとする。こういった人たちこそ、現代の“害”だと断じた
い。


俺は、殺人犯が無罪だとは思わない。一生牢屋の中で過ごすべきだと思う。

自分たちよりも弱者または少数派の者に対し、断定的な口調で否定をし、問題
は全て彼らにあると言う者たちにこそ「問題がある」。

具体的に言えばTV局、ゴシップ紙出版社、そして一部の勘違い団体があたる。


お前ら何様のつもり!? そう罵りたい気持ちでいっぱいだ。




---1977年ごろの猟奇殺人。

・23歳がモテないのでむしゃくしゃして連続通り魔殺人(昭和52年(1977).5.30)
・34歳大手商社社員が小学生をゴルフクラブで殴り殺す
・中3が女性(11名)の頭を鉄棒で殴って2ヶ月の重傷(横浜)
・27歳が通行人を次々刺して看護婦殺害(新宿)
・43歳が、お婆さんに抱かれていた赤ちゃんの顔を切りつける。
・29歳無職が職探しのイライラから小学生を橋の上から投げ落とす。
・女子高生風の女が幼女7人の顔をカミソリで切る。
・就職の決まらない大学生が女性の髪を切る。
・17歳無職がマンションに押しかけて住民を次々刺す。
・青酸コーラ無差別殺人事件。路上の電話ボックスに置き、飲んだ2人が死亡。
・アパート自室を放火して消そうとした隣室の男性を果物ナイフで刺殺。
・中3が父親を殺しながら電話で女友達に実況中継。
・2歳の女の子がカミソリで赤ちゃんの顔を切り刻んで殺す。
・29歳のOLが超能力で自分をいじめていると近所のお婆さんを包丁で刺し殺す。
・クラクション殺人。
長崎バスジャック。
・18歳のOLが顔も知らないペンフレンドに呼び出されてホテルで殺害。


31年前の加藤智大(少年犯罪データベースドア)
http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/51670831.html