世間で俗っぽく言われる「コミュ障」が自分に当たるか否かを判断する基準点

相手から自分のプライベートなことを聞かれても嫌な顔一つ答えられるかどうか

だと考えるように至った。


俺自身、友達の関係(又は自分が相手のことを友達と受け入れられる相手)でなければ
自分のプライベートなことを話したとは絶対に思わない質だからだ。

そこらへんでベラベラと聞かれてもいないのに自分のことを言ってきたり、
ズケズケと自分のことを話さないくせに相手のプライベートのことを突っ込んで聞いてくる奴は
同類の人か気の弱い人とすぐに人間関係を作ってしまう。(まあ見せかけの、ではあるが)

そういう人に対して、引っ込み思案かつ相手を警戒するような人は、そんな人と打ち解けず
場合によってはそういう人を敵に回すことがある。
結果的に少数派になってしまい、場合によっては孤立してしまう場合がある。

そして。コミュ障と認定されるや否やコミュニティー(クラスやサークルや部署)から
ハブられる(村八分にされる)。


そうならないためにはどうすればいいのか。
さっさと自分が入れるコミュニティを探して、そこの一員として属してしまうことが一番いい。
浮浪者のように彷徨っていると、下衆い連中から烙印を押されて自分は途方に暮れることになる。

もし下衆い連中しかおらず、それに何とか無理やりでも溶け込めるのであれば、
相手から自分のプライベートを尋ねられた時に逆に尋ね返し、更に突っ込んで聞きまくれるくらいの
精神力がないと、たぶんその場に居続けるのは1カ月が限界だと思う。

先生や上長に相談するのはいいのだが、そこへ行ってしまうと大事になってしまう可能性がある。
すると本当に自分のことを親身に考え、表面化しないように動いてくれる人を探すしかなくなる。
居づらくなり、退職や転校を余儀なくされるのは本望ではないだろう。

そうなりそうになったら早めに第三者の知人を探して相談をしたほうが良い。
三者とはNPOの相談窓口もあるが、ほかの学校の知人やほかの会社の知人がそれにあたる。
意外なところで下衆とリンクしている可能性はゼロではないが、限りなくリンクはしてないはずだ。
恥ずかしい、面倒に巻き込みそうだと思って遠慮せずに、そういう人を頼って悩みを告白して
相談すべき。


俺が考えるコミュニケーション力というのは、自分の考えを相手が理解できるように伝えられること
相手が理解して行動できる状態になれることを指すものと考えている。
しかし昨今いわれる「コミュ障」や「コミュ力」というのはそれとは全然違って、単におしゃべりか否か
でしか判断されてないように思う。
なので冒頭に言った言葉を判断材料の1つにした方がベストだ、と考えるのだ。