分からないことに対しては決めつけ、無視、嫌悪、忌避する

分からないこと=怖い というイメージといえばいいのだろうか

怖いというのは、道端でいきなりオジサンがコートを広げて・・・という話ではない。
特に田舎、山中の夜の道は街頭はなく、又は該当があっても点いているかいないか分からないくらいに暗い。
もしその道が貴方が何年も通っている道だったらどうだろう。ガサガサ音がすれば怖いだろうが
いつも通りなら怖いと思う事は殆ど無いはずだ。

「怖い」は夜道や見知らぬオジサン、幽霊に対してだけ思う事ではなく、
自分の身近にあること、知識に関しても見知らぬ知識に関しては同様の
思いを持つものだ。

説明、教える側は相手の恐怖心を静まらせ、信用させることから始めないといけない。
相手が何に対して怖がっているのか?を考えればよい。

しかし幾ら懇切丁寧に話をしても怖さが消えない人がいる。そういう人は足切りをするしかない。
それは例えば機械物に対してそもそも順応できない人だ。
そういう人はもう機械物に対して強い好奇心と必要性を感じさせない限り無理。
あなたは無理なんだよと早いうちに引導を渡してあげる方が良い。
3日坊主じゃだめだよ、最低でも3カ月、できれば半年以上毎日続けることが必要なんだよと
それを今ここで私に約束できますか?いますぐ返事してください。できないのなら無理です。
そう言って具の根も言わせないくらい叩いておく。
あとでお前があんなこと言ったから高いスマホ買わされる羽目になったんだ!とか言われてはね。親切した者がバカを見る。相手も使いもしないスマホを6万円無駄遣いさせられたことになってお互いアンハッピーになる。

不幸せは求めない。求めるのは幸福だけだから。

とここまで冒頭部分で無理そうな人を切り離しておく。
それでもあなたの話を聞いてみたい。という人になにに対して注意しないといけないのか、
どういったデメリット(不都合)があるのかを示してあげること。
「それでも貴方はやりますか?聞きたいですか?」と先に念を押してあげることです。
そうすることで聞きたい人は更に耳を傾け、聞きたくない人は部屋を出ていくでしょう。それは話をする側は不満に感じるでしょうが無駄がかかり難くなるのです。

どんなに懇切丁寧に、手取り足とりして教えても話しても、最後は本人の気持ち次第なので。
そこを本人以外の私がどうにかできるところではない。現実視したほうが吉だというのが私の考え方です。