アンドロイドを通して人間関係を考え直す作品

シリアスな作品は好きなんだが、アニメにはお茶らけたところと丁寧過ぎるところがある。
雑でいいとは言わないが、アニメ好きな人以外から嫌われてしまう要因を増やしてしまうと思う。
アニメは所詮ガキの絵本だという見かた、考え方が、官庁や大手企業などの俗に言うお偉い方

ロボット、アンドロイドを取り扱う作品って、それこそ戦前戦後のあたりからずっと扱われ続けていて、例えば日本の漫画・アニメだと鉄腕アトム銀河鉄道999などがある。


アンドロイドやロボットって、人間のエゴの捌け先としか扱われてないということ。


アンドロイドに同情や愛情を感じるのは人間のエゴでしかない。
作られるアンドロイドにどのような処理能力を機能として付け加えるかは人間次第だから。それに感情の部分というのは極めて非効率的な部分であり、本来機械が持つべき機能ではないと考えるのが自然だからだ。

アンドロイドは、1つの養殖された人間だから感情移入できないはずである。しかし見ている人は感情移入する。
それはアンドロイドが人間とほぼ同じ色、形、動作であるために親近感を感じてしまう為だ。特に日本人の場合はすぐに擬人化する傾向がある。
もしイブの時間に描かれているアンドロイドが"ウミウシ"の姿だったらどうする?wウミウシマニアな人なら恋するだろうが、たぶん多くの人は近づかないで欲しいと思うし、観客は寄り付きもしないと思う。



じゃあ作品にアンドロイドを採用する理由はなんだろうか。
採用したいテーマはズバリ「アンチ人間」
これしかないと思う。
人間が人間に対して否定的に論じることは可能だがそれだと観客が得る印象はキツくなる。そこで人間の姿をしたアンドロイドであれば間接的に否定表現できるため、観客は少し軟らかめの印象になる。

新スタートレックデータ少佐ブレードランナーレプリカントターミネーター2のT1000などがそうだが、命や家族に関するテーマを間接的に表現することで、視聴者の印象を強める効果を得られる。

アンドロイドに似たものとしてクローン人間もあるが、クローン人間だと内臓器官まで同じになるため、どちらかと言えば作品がグロくなってしまうデメリットがあるだろう。


もう日にちが変わったので昨日(2/25)だが、原作者であり監督の吉浦氏(32)の話し方は、イブの時間は吉浦氏の中では終わったと思っているのではないか?と感じた。
続編を作る意欲はあると語っていたが、5年近く携わり2009年に完結させてから3年近く経った今でも続編を出さないのは、他の仕事で忙しかったからだけの理由とは考えにくい。しかも今年は新作を出すと言っていることから、今後は新作に注力したいと思っているのではないかと思う。
元々短編6部作品を繋げて1作にしたのが今回ネット・劇場放映したものであり、ある少年・青年が生きている世界の日常を描きたいという趣の方が強く、その時代のバックボーンや大人の世界は二の次、三の次つまりオマケでしかないと考えているように思う。

もし私たちの世界がアンドロイドがいる世界になったら、貴方はどうしますか。
そんなアンチテーゼ的な問いかけをしたかったのではないだろうか。

もしアンドロイドが居たら、Twitterbotでまるで本当にいるかのように受け応えしてくるのがいるが、これに近い存在になると思う。
私たちは相手が動物だろうが、機械だろうが、自分の言動や行動に対して反応をしてくれるものであれば仲間になって欲しいという欲求がうまれるのだろう。それは世の中の人間関係が非常に乾ききったものになっているからこそ、そういう欲求が強くなるのだと思う。


この作品がもっと長いフィルムを取れる作品であれば、表現は随分と変わったと思う。
もっとも単発作品は28分の長さがあるので6作だと約3時間もの作品になるのだが。

微妙な人間関係を描いた作品として、赤でも青でもない中間色の部分を描く作品としては秀作だと思う。



[参考元]
"映画館 X ニコ生"同時上映! アニメ「イヴの時間 劇場版」/ ニコニコ映画【特別】上映会 - ニコニコ生放送
< http://live.nicovideo.jp/watch/lv80766957?ref=top >