差別化?いや自然的であることの方が優先でしょ

タイガー&バニーのキャラクター原案者の桂正和氏を始め多くのクリエーターは「差別化」を謳うのだけど、本当にその差別化必要なの?と考えることが増えてきた。

また「差別化」と「奇を衒(てら)う」を混同してるんじゃないの?と感じることもある。
両者は当然違うし、混ぜて考えたり捉えるのはおかしい。

もちろんクリエーター(創作者)が製作する作品のつくり方は夫々だし、つくり方は自由だと思っている。
商業誌をやってる人なら編集から作品の方向性を変えろと言われたり、定期的な読者ランキングに右往左往させられて当初考えていた物語のポイントや結末を変えてしまうことがある。

職人とは、「自分の技能によって物を作ることを職業とする人。大工・左官表具師など。(goo辞書・デジタル大辞泉より)」とあるが、個人的に見聞きしているものから纏めるとこの意味と違う。どちらかというと・・・
客の要求とおりの製品を、客が要求する期限内に完成でき、尚且つ客の要望を上手に汲み取れ製品化できる人
という意味合いのほうが強い気がする。
つまり、客からこれこれの仕様で作ってねと言われたからそのまま作ったのでは職人ではないということだ。
雑な言い方をするとAセット下さい→「ポテトをサービスしますね」と言えるかどうか。客に対して提案ができないと職人ではないという考え方だ。

芸術家とは先の辞書では「芸術作品の創作活動を行う人」とある。
芸術とは「特定の材料・様式などによって美を追求・表現しようとする人間の活動」(同)とある。

リエーターと言っても2通りあり、芸術家と職人がある。
辞書の意味だと何れも同じ線上にあるという捉え方になるが、俺の解釈・認識は違う。
芸術家は、危険な言い方をするとガウディーのサクラダファミリアのような作品を作る人だ。特に期限はなく、ただただ作品として微にいり細にいりの作品が作ればいい。それが採算に乗らなくてもだ。
職人は違う。上述の通り期限内に最低限お客の要望を完全に満たさなければならない。3日で出来ますと言った以上はどれだけボリュームのあるものであっても3日で完成させないといけない。その為なら寝食を忘れてでもやらないといけない。尚且つ採算が取れる仕事でないと駄目だ。


ここでやっと「差別化」についてくっ付くのだが、クリエイターが自分は「芸術家」と考えるか「職人」と考えるかによって大きく変わっていくということだ。
芸術家であれば他人と同じものをつくっては価値がないと言う考え方は自然だと思うが、職人なら他人と同じものを作ってはならないと言う考え方は不自然だということだ。どういう事かと言うと、職人は客の要求に沿わないものを作ってはいけないからだ。
もちろん提案は行っていいのだが、その提案は客が好む形でないといけない。それが他社製品の贋作だと言われようとも。
(実際は著作権特許権などの絡みで作れなくなると思うが)


もう1つ。
俺の場合は先に結末を考える。開始から結末までの間は自由だ。どんな道をたどっても良いという考え方。
他作品と同じになるから奇を衒うというのは、俺は自然じゃないと思う。
作品は例えそれがギャグ漫画であってもクリエイターの主張が含まれてなければ作品にならない。章ごとのテーマはあっていいのだが、作品全体としてのテーマ(主張)はあるべきでそれを曲げてはならない。

奇を衒う、差別化しなきゃ!という思い、考え方はニュアンス的に同情する部分だが、それによってクリエイターの主張が変わってしまうのであるなら、その作り方はすべきじゃない。
特に物語の最期、結末を変えるのはクリエイター自身、読者に対して失礼になる。

「自然的」と言ったのは、クリエイターの主張に対して自然であるべき作品をクリエイターは作るべきだ!ということ。AとBが出逢って結ばれるのがセオリーだと言っているわけじゃない。
最も重要なのは課程だが、結末がテーマに対して与える影響力は甚大でもある。


読者・視聴者が作品に触れること、即ち生活を豊かにするための「余暇」だ。
生活(実生活)を満たすには余暇を豊かにする必要がある。(ここで言う余暇とは空いた時間ではない。時間と時間、生活と生活を繋ぐもの、という意味だ)


自分なりに色んな作品に触れてきたが、恣意的に差別化をし過ぎる傾向にあるように感じるため、このようなことを書いた。
もちろん理由は後付けでもいいのだが、作品があって主張があるものではなく、主張があって作品があるという形が最良だと考えるのだ。




[参考元]
差別化 とは | マーケティング用語集 | ミツエーリンクス
< http://www.mitsue.co.jp/case/glossary/m_010.html >