TVがなくてもいいと思った理由

さっきYahoo!のトップニュースにあるTV番組の話が上がっていたのを見て
俺この話はどーでもいいんだよねTV見てないし、部屋にないし。と思った。

そう思うったと同時になんでTVなくてもいいと思ったか。
もともと俺はTV世代っ子で、3~4年前まではTVにかじりついていた。
家に帰ればTVばかり。見てなくてもTVをつけてるそんな人だった。
それが3~4年前、正確な理由は自分でもあやふやだが、あえて言えば
東北大地震がきっかけになったようにも思う。

TV番組は収録番組でさえオンタイム、つまり放送時間帯にしか放送しないし
録画していなければ後で見ることも見返すこともできない。
それに対しネットはウェブ自体が録画・録音されているコンテンツを
繰り返し再生するメディアであること、プログラムが後ろで動いてさえすれば
24時間365日流しっぱなしできる。

バラエティやアニメも見るが、やはり情報源の1つだった。
しかしネットが年々リッチなコンテンツになるにつれ、
・いくらでも読み返しができること
・検索できること
・静止画だけでなく動画、音楽も限りなく見聞きできること
そして、自分が欲しいコンテンツがすぐ手元に、常にあることが
TVの価値を超えてしまった瞬間だったと思う。

その兆候は大震災の前からあっていて、たまたま大震災で一人暮らしの俺は
寂しさがあり、それを補うためにニコニコ動画のユーザー生放送で紛らわせていた。
当時だから余震があれば揺れたとザワザワしたし、何もなければ他愛もない
話が延々と流れていた。それは寂しさを紛らわすのに一番良かった。
何よりユーザー生放送は自分のお金を払って放送している人たちで
限りなく自分の立場に近い人だ。別世界の芸能人ではない。


ネット右翼という言葉がある。
俺もそうなのかもしれないがそういう意識は微塵もない。批判したけりゃすればいいと思っている。
ネット依存性が高いことに対する危機感はゼロではないが限りなくない。
それは1つの記事、投稿だけで判断しないようにしている癖ができているからだ。
ネットでは必ず「ソースを示せ」と元情報の開示を求めることが多い。そういう風潮もあってか
日頃から1つの情報だけでは信じないようにしている。
むしろTVや新聞の方が偏っている場合は少なくない。

ニコニコ生放送だからといって常に自分が見たい生放送番組をやっているわけではない。
YouTubeだって最近は権利者の声が通りやすいから権利モノの動画はすぐに消される。
しかし「圧倒的」な情報量、その圧倒的情報を即座に見たいものだけ見れるという機能は
テレビや新聞にはない。

俺の立場で言うとTVが面白く無くなってきた=刺激に慣れて新鮮味を感じられなくなったから
だと思っている。だからTV番組そのものが面白く無くなっているわけではないと思う。
そこにネットという圧倒的な物量のコンテンツが現れた。これがTVの価値を一気に押し下げた
理由だと思っている。


あまりいう人が少ないが、ネット世界でもラジオからテレビに変わった時代と同じようなことが
起こっている。そう、パソコンからスマホタブレットに変わってきているということを。

多分5年後にはPCは仕事場で見る程度の存在になると俺は思っている。
しかしPCが世の中から消えることは決してない。PCにはPCの良さ利点もあるから。
TVもそうで5年後は今以上にシェア数が減っていくと思う。それでも消えることはないだろう。
コモディティー化した媒体が必ず辿る道だと思う。
今まで1000万人が使っていたものが100万人に減れば、視聴率1%は100万から10万に
減るわけだから売り上げだって減るに決まっている。特定の番組の視聴率を上げることは可能でも
分母の100万を1000万に増やすことは多分無理だろう。
TV業界の人はそれをどう捉え、どう対処するかってことに注力すべきなのに、権利を守るために
コピー禁止ばかり謳っている。それじゃあ分母は増えないよ。

ネットはそこが放任主義で自由だってことではないが、まだまだ自由さがある。

人が減っている今も人口1億人いる日本だが、そのうち5000万人まで減ると
言われている。そうなった時、100万人まで減った分母はさらに減って50万人
いや5万人まで減る可能性だってあるわけだ。
権利はどうでもいいとは言わないし、視聴者からのクレームを減らすために努力してはダメ
とは言わない。しかし予算ばかり見て自由さを減らしてるだけのコンテンツは
見ていてすぐに飽きる。

何が言いたいかというと、もっと自分たちの価値を考えるべきだということ。

TVが再び脚光をあびるメディアになるには価値をつけることを考え続けることが
肝要だと俺は思う。