読んでて面白いビジネス書だった。

既に本文記事がまとまっているのでこれ以上要約するのは無理w
無理にまとめろと言われるなら「原作者とメディア制作側のバランスが大事ですよ。保身ならず攻撃的な制作が吉」と言うことだと思う。

この記事の面白さは、作家のメンタル面も書いていることだ。

松智洋氏は幸いにも両方の経験があり「経験があったので自作アニメ化制作でも活かせた」としている。こういう両刀使いな人は今は珍しくは無いだろうが少ない存在だと思う。


以下は自論だが、
昔は、1年4クール(クールは13話または3ヶ月間)は絶対で、必ずバンダイ(現バンダイナムコHD)やタカラ、トミー、ショウワノートエポック社などが強力スポンサーだった。それゆえ視聴率が取れない場合は即打ち切りというアニメ製作側も原作者にも酷な現実を突きつけられることがあった。
有名な話に初代ガンダムは、当時ガンプラ不採算が原因で打ち切りになっている。(後にガンプラブームになった)
アニメ製作側は、スポンサーに良いように振り回されて手足を縛られてきたという思い、苦渋の記憶があったのは想像にかたい。

1982年頃からビデオデッキが安価になり売れ始めた。
ここに目を付けたかは分からないがOVAを始めたのが故・金田伊功氏の「バース」(1984年)という作品だ。
これはメディアミックス誕生の年と言ってもよいのではないだろうか。

1990年に入り、声優のタレント化が急激に進み始め、声優だけを取り上げた雑誌が出版されるようになった。
またレンタルビデオが隆盛を誇り始めてラジオ番組枠が空くようになり、そこに声優のラジオ番組を大量に投入し始めたのもこの頃だ。
当時はあかほりさとる氏らが数多くのCDドラマを手掛け始めた頃でもある。

1994年。PlayStation(初代)発売。1995年。Windows95がリリースされ、ネット時代幕開けに。メディアミックス加速の原動力を得る。
2000年。PlayStation2が発売され、DVDが一気に浸透。DVDコンテンツの敷居が急激に下がり、メディアミックス化は急激に速まった。
2006年。PlayStation3発売。この頃から1クール完結型のTVアニメが増え、同時にTV放映直後にDVD・BDソフトをリリースする形が出来てきたように思う。


アニメ業界に不満は絶えなかった。
不良作が息絶えるのは自然の摂理だが、だったら最初から企画するなよ!wって話しだ。制作にGOを出したのはTV局でありスポンサー。彼らによって翻弄され、手と足を縛られ続けてきた。その不満が連綿とあった。その突破口がメディアミックス展開だったわけだ。

玩具メーカーやTV局の縛りが緩まった分、作品を発掘していかない苦労と共に原作者とアニメ制作側の温度差が障害として表面化した。

話数を限定することでリスクヘッジをし、DVD・BD媒体でTV放送で得られなかった分や更に上積み分を回収すると言う形になった。
しかし回転率が速くなった分、そのストレスは制作側と原作者に振って来た。
そこを今後どうするかが今の課題・・・と言うのが松氏の話かと思う。



脱TV局、脱玩具会社を目指すのは悪いことではない。実際、今までにも何度となく裏切られてきた背景がある。
それに取って代わるビジネスモデルが、メディアミックスであり短期間放送とセル・アニメ販売という形だった。しかしそれは制作と原作者に負担をかける麻薬的手法でしかない。

メディアミックスは1つのビジネスモデルであるが、後世に継がれるような作品が出来てないし作ろうとしてない気がする。
棚ボタを待っているのではなく、棚を揺らして落とす行動をしなければ絶対に得られることは無い。

俺がアニメ業界を見限ったのは、ガンダムと宮崎作品しか崇拝しない世界にしてしまったことだ。そして現実に目を向けずにライト作品しか作ろうとしない若手スタッフしかいないことだ。
ゲームでも同じだが、ライトユーザー向けを増やすことでセールスは安定する。しかし重厚なヘビーユーザー向けタイトルもまた増やしていかないと「幅」ができないし、魅力も感じなくなる。
何も毎月のように出せとは言わないが、年に1作品は見ていて考えさせられるような重厚な作品を出すべきだと思う。



Business Media 誠:アニメ化は必ずしもうれしくない!?――作家とメディアミックスの微妙な関係 (1/4)
<http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1012/31/news001.html>

(参考)
打ち切り番組年表(テレビアニメ編) - ウェブフー
<http://fusuian.tamon.co.jp/?page=テレビマンガ打ち切り番組年表>