鬼滅の刃 

劇場版を見てきた帰りにコレを書いている。

その前に、原作者・吾峠呼世晴氏に関心が移るのは自然だろう。

[ 【インタビュー】『鬼滅の刃』大ブレイクの陰にあった、絶え間ない努力――初代担当編集が明かす誕生秘話 - ライブドアニュース ]
( https://news.livedoor.com/article/detail/17760339/ )

Wikipedia記事の限りだと、2013年にデビューし佳作入賞。それ以後、作品を出していたものの2016年までの約3年間は鳴かず飛ばずだったようだ。
担当編集者と相談し原点回帰で生まれたのが「鬼滅の刃

しかしこの鬼滅も直ぐにいまのような売れ方をしたわけではなく、最初はそれほどヒットはしなかった。それが連載開始から4年の年月を経て莫大で絶大なヒットになった。

 

上記URL先の記事で今の事態を吾峠氏は「喜んでいる。しかし作品製作に没頭されている」と担当編集者が語っている。

プレッシャーを感じず、あくまで1つの道しるべとしてしか捉えていないのは良いことだと思う。

1度大ヒットを生むとそれがプレッシャーになって以後作品作りが上手く行かない人が多い。あくまで作品づくり。その集中力とモチベーションは31歳にしては凄く冷静沈着な方だと感じた。

 

 

さてここからネタバレになるので読まれる方は注意

 面白かったし、原作ベース、TVアニメ版の後日談として作られた本作ではあるが、知らなくても楽しめる作品。

外崎春雄監督作だが、非常に観客をくぎ付けにする演出、ストーリー展開は良作だと言える。

 

ここまで書いておいてなんだが俺は原作もTV版も全く知らずに劇場版を観に行った。むしろその方が素直に受け取れると思ってあえて見なかった。

残念なことを言うと、本作サブタイトルになっている無限列車に憑りつく魘夢との戦いが前編としてあり、後編は上弦の鬼・猗窩座との戦いが繰り広げられる。
しかしこの2つにストーリー上の関係性は全く無い。それが一番残念に思う。

例えば魘夢が倒され、その様を見た猗窩座(あかざ)が激昂して炭治郎を倒しに来たというのであれば話は続くのだが、それすらない。猗窩座は口上を述べることも無く、ただただ煉獄の剣捌きを褒め同じ鬼の世界をひたすら勧誘するだけ。

やっぱりそこは原作に無くても導線を付けておくべきだったのでは?と思う。

 

煉獄と猗窩座(あかざ)の一戦だが、凄いと言えば凄いが、もうちょっと何とかならないのか?と思った。

なんでかというと、結局のところドラゴンボールみたいになってしまっている。つまり擬音だけで終わってる感じがあったからだ。

人は・・・と言っている割に、リアルに言えば腹に腕が貫通すれば誰もが即死だが、5分以上生き続けてるのはちょっと演出が過度ではないのか?と思った。(原作がそうなのだろうが)

 

優しい人間を描こうとしていて、基本は優しい人ばかりで構成されているのもこの作品の特徴なんだと思う。

俺ならバットマンのジョーカーのように心から悪党を出場させたいと思うが、吾峠氏はあえて根は優しい人ばかりにしたのだと思う。

そして鬼は、憎しみや悲しみから生まれた産物だという設定。これは結構使い古された設定。しかしだからこそ皆、根は優しい人という設定が活きてくるんだと思う。

 

吾峠氏は次回作を意欲的に練っている様子だが、4000万部売れ、劇場版も、グッズも売れているとなれば、余裕のある生活を送れると思うので、時間がかかってもじっくり練って新作を作って欲しいと思う。